2013年09月

+Ave Maria
 
今日の中秋の名月、綺麗でしたね。
 
まんまるで。
 
仕事の帰り道に、車の中から眺めていました。                     
 
さて、今日もオプスデイ属人区長エチェバリーア司教様のお話しの続きで
 
す。
          
よろしければご覧下さい。
 
今月は、これで最後です。
 
では、どうぞ。
 
神に感謝!
 
数日後には、ローマに戻りますが、いつものように提案したり解決したりする多くの
仕事が待っています。
その中には、日付はまだ分かりませんが、愛するドン・アルバロの列福式の準備が
入っています。
特別にこのことのために祈り、それまでの期間を、師と著書をよりよく知るために活
用し、それを広めるようにしなさい。
それは、至聖三位一体とオプス・デイの精神と創立者に心からの忠誠を尽くされたド
ン・アルバロに感謝するためです。
 
 そしてオプス・デイの病気の人と全ての病人のために祈り続けて下さい。
彼らが主の十字架に一致することができるようと。
こうしてのみ、全ての人のためのキリストの贖いのみわざがもたらされるよう、より集
中的に参与することができるのです。
 
   心からの愛を込めて祝福を送ります。
皆さんのパドレ
†ハビエル
ゾーリンゲン、201391
 

+Ave Maria                      
 
オプスデイ属人区長エチェバリーア司教様のお話しの続きです。             
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神に感謝!
 
第二の条件は教皇様と司教様方との一致です。種々のご意向と祈願に一致して祈
ることです。いつもこのことを繰り返すのは、
ペトロと共にペトロの下で、司教団と一致していることによってのみ教会への奉仕が
実りあるものになるからです。
 
創立者が述べています。
「ペトロとの一致すなわち教皇との一致を繊細な心で忠実に保てば、この使徒継承
という特徴を全ての人の目に、より明らかにするのに貢献できます。ローマ教皇のう
ちにキリストを見ているからです。祈りの中でキリストに接すれは、時には理解に苦
しむ出来事や嘆きと悲しみを誘う出来事が起こっても、聖霊の働きを識別できる澄
み切った眼で歩みを続けることでしょう。」[i]
 
 十字架上の主を愛することによって私たちは、不信感や複雑な考えなしに、
この世をキリストに引き戻すための歩みを続ける強さを持つことができます。
栄光の聖十字架の称賛の祝日は、正にこのことを示しています。
栄光への道は、主がお許しになる身体的内的な障害を進んで喜んで受け入れるこ
とです。
創立者はper crucem ad lucem, 十字架を通って光へ、と言っておられました。
私たちにはいつもマリアが付き添っておられるのですから、十字架があっても喜びに
満ちています。
木には―私たちの聖堂の木の十字架のように―たとえ時にはとげがあるとしても、
バラが花開きます。
こうして、私たちの卑小さにも関わらず、人々の救霊のためにイエスと協力する喜び
を特別に味わうことができるのです。
 



[i] 聖ホセマリア、197264日説教『教会を愛する』31ページ。

+Ave Maria
 
オプスデイ属人区長エチェバリーア司教様のお話しの続きです。             
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神に感謝!
 
 信者が教会の使徒的使命に参与して実りをもたらすために必要な基本的条件が
つあります。慰め主の働きかけに素直であることと教皇と教座に忠実な司教と緊
に一致していることです。
 この二つは絶対に欠かせないものです。
 
 パウロ六世が述べられたように「福音宣教を行なう主人公は」[i] 聖霊です。
私たち個人の生活においてまた全教会において使徒職を推進するのは聖霊なので
す。福音を述べ伝えることは「実に教会自身の本性に深く根ざした最も特有の恵み
であり、召命です。教会はまさに福音を述べ伝えるために存在しています。」[ii]
一人ひとりのキリスト信者も同じことで、私たちは他の多くの人たちを引き連れて天
国に行くために存在しているのです。
 
 私たち皆に任された「新たな福音宣教」の仕事を進展させるための光と力をお願
するため聖霊により頼まなければなりません。
「福音宣教を行なうために必要なのは、神の霊が示す可能性にあらためて心を開く
ことです。聖霊がわたしたちに何を求めるか、わたしたちをどこへ導くかについて、
恐れてはなりません。
 
 聖霊に身を委ねてくだい。
聖霊は、わたしたちが信仰を生き、あかしすることを可能にし、また、わたしたちが
出会う人々の心を照らしてくださいます。」[iii]
 
 イエスについての知識やイエスに対する愛を伝え広めることは何と大きな喜びでしょう。
ありうる困難に歩みを遅らせてはなりません。そうではなく、初代信者のように、マリ
アのご保護の下に、どこであろうと自分の居場所で、慰め主の拡声器としてますます
熱心に励むことです。つまり首尾一貫したキリスト者として振る舞い、たじろいでいる
人の耳元に適切な言葉で喜びの便りを伝え、私たちが持つべき愛徳を持っていつも
全ての人と接することです。
 



[i] パウロ六世、197588日使徒的勧告『福音宣教』75番。
[ii] 同上 14番。
[iii] 教皇フランシスコ、2013522日一般謁見の講話。

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神に感謝!
 
生ぬるく受身的なキリスト者は
「キリストが私たちに期待しておられることが分からずじまいと言えます。自分のこと
だけを考えて人々の救いについて何も考えないキリスト者は、イエスの聖心で人々
を愛しているとは言えないのです。
使徒職とは、位階制に属する人や司祭や修道者だけの使命ではありません。
全ての人は、模範と言葉で、永遠の生命に至るこの恩寵の流れを伝える道具にな
るよう、主の招きを受けています。」[i]
 
聖ホセマリアは、オプス・デイ創立当初から、教会が神から受け取った使命の非常
に重要な側面としてそのことを教えました。
そのメッセージは、全ての人のためですが、より具体的には一般信徒に向けられた
ものです。
つまり、神からの召し出しによって、
この世の現実を神のみ国の発展のための手段に変えようと努めつつ過ごしている
男女に向けられたものです。
 
1930年代にこう述べています。
「わが子よ、あなたはただ何かよい目的を果たすために、人々と一緒になったので
はない。それだけでもすこぶる立派なことにはちがいないが、それでも大したことで
はない。あなたは、キリストの命令を果たす使徒なのだ。」[ii]
 



[i] 聖ホセマリア、197264日説教『教会を愛する』33ページ。
[ii] 聖ホセマリア、『道』942番。

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神に感謝!
 
教皇フランシスコは、就任されたばかりの頃、全ての信者にこの喜ばしい役目を思
い起こさせることに専念され、あの手この手で自問するよう勧められました。
「わたしたちは自分が教会であることをどのように生きているでしょうか。私たちは生
きた石となっているでしょうか。
それとも、いわば疲れた石、退屈した石、無関心な石となっていないでしょうか。
疲れた、退屈した、無関心なキリスト信者は、見苦しくはないでしょうか。
このようなキリスト信者になってはいけません。
キリスト信者は生き生きとしていなければなりません。
教会という神の民の一部であることの素晴らしさを生きなければなりません。
わたしたちは、聖霊のわざに心を開いているでしょうか。
(・・・) それとも、『わたしにはやることがたくさんあります。それがわたしの仕事でしょ
うか』と言って、自分のうちに閉じこもっていないでしょうか。」[i]
 
先だっては、リオデジャネイロにおけるワールドユースデイの閉会において、特に若
者たちに同じことを繰り返し呼びかけられ、メッセージを「行きなさい、恐れるな、仕
えなさい」と三語にまとめ、こう説明なさいました。
「しかし、注意しなければならないことがあります。
イエスは『望むなら、時間があるなら』とはいわず、むしろ『行って、全ての民を弟子
にしなさい』といわれました。
信仰体験を分かち合いなさい。信仰を証ししなさい。福音を述ベ伝えなさい―
これが、主があなたがたを含めた全教会に示した命令です。
しかし、この命令は、支配欲や権力欲から生じたのではなく、愛の力から生じまし
た。まずイエスがわたしたちのただ中に来て(・・・)全てを与え、ご自分のいのちをささ
げたことから生じました。
それはわたしたちを救うためです。」[ii]
 



[i] 教皇フランシスコ、2013626日一般謁見講話。
[ii] 教皇フランシスコ、2013728日リオデジャネイロにおけるワールドユースデイ閉会ミサでの説教。

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