2010年09月

+Ave Maria!
 
昨日の福音に出てきたからし種なんですが、以前、イスラエルに巡礼に行った方から現物をみせてもらったことがあります。
 
それはそれは小さな種でした。
 
どれくらいの大きさかというと、粉くらいのイメージです。
 
ほんとに小さい。
 
でも、粉よりはやっぱり種かなと。
 
これが大きな木になるそうで、イエス様の例え話しにはぴったりですね。
 
種だけ見れば想像できません。
 
しかし、本当にこんなに小さな信仰すらないのでしょうか。
 
誰か山を動かして(笑)。
 
神に感謝!

+Ave Maria!
 
今週の主日の福音から・・・
 
聖ルカ17:5です。
 
~使徒たちが、「わたしどもの信仰を増して下さい」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。~
 
私、この箇所を読んで、自分に信仰がある、とか、信仰を増したい、と思うほど、信仰を離れて行くような印象をもちました。もっと信仰深くありたい、と思えば思う程、そういった対象から離れて行く・・・・・。
では、信仰のある人とはどういう人だろうか?
 
今度は聖ルカの17:10です。
 
~あなかがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。~
 
この例えの人は信仰を増したいと思う以前に、自分をへりくだるだけへるくだるという印象です。信仰を増したいという気持ちは感じられませんし、ましてや自分に信仰があるという雰囲気すら感じさせません。
従って、信仰を増したいと思うところから出発することが誤りの入り口で、神様の前で謙虚になることがまず最初の入り口なのではないかと思いました。
 
以上の福音は新共同訳からですが、念のため、バルバロ訳に解説があるかなあ~と思って聖書を開いたら・・・
ありました!ありました!
 
ここには、ここで言う信仰は、神学上の信仰ではなくて、神に対する信頼のことである。弟子たちがこの信頼さえもてば、与えられた使命を完遂できるであろう。と書かれていました。
 
・・・・・う~ん。
この解説を読むと、自分の考えはちょっとずれちゃったかな?と言った感じです。
 
もう一度、黙想し直し!(笑)
 
神に感謝!
 
 
 
 
 
 

+Ave Maria!
 
ミサは 『いけにえ』。
 
ミサは 『主の十字架の再現』。
 
従って、ミサに与る人は敬虔に。
 
聖堂では静かに、慎み深く、主がそこにおられる。
 
全くその通りなのですが、小さい子供にはそんなことをいくら話しても分かりません。
そもそも日本語すらまだ分からない子供。
小さな子供は泣くことが仕事です、とうちの教会の神父様は言います。
 
お母さん、お父さんも他の信者さんに迷惑にならないよう、一生懸命あやして、静かにしててねと冷や汗を流しながら、ミサに与っています。
 
きっと教会に来るまでにも一苦労でしょう・・・・。
でも、キリスト様のためにお父さんお母さんはがんばってミサに来ます。
そこで子供が泣くからって、うるさいからって、静かにさせて、と言えるでしょうか・・・・。
 
多くの信者は若いご両親の味方です。小さな子供の味方です。
遠慮なく、ミサに与りに来て下さい。
万一、うるさく言う人があったとしても、私たちはがんばって皆さんを守りますから。
 
ではその他の大人は?
大人がうるさくしていたら?
静かにしてって言いますよ(笑)。
 
慎み深く敬虔にミサに与りましょう。
まさに、イエス様が祭壇の上で十字架にかかっていらっしゃるのですから!
主のいけにえです。大切にしましょう!
 
神に感謝!
 
 

+Ave Maria!
 
ミサではなくて、ミサ後の教会学校では、仲の良い子供同士が集まって盛り上がってたりします。
まあ、教会学校に来やすい雰囲気があることは良いことなので、仲良しの子供がいることは良いことだと思っています。
しかし、毎週毎週あまりに盛り上がりすぎて、歌の時にも騒いだり、お祈りの時にもおしゃべりしたり・・・・。
こうなってくるとそのままでは済ませられません。
 
でも、頭ごなしに静かにさせるのではなく、皆と一緒に祈る時間なので騒がない、一緒にマリア様の歌を歌うのでおしゃべりしない、ということを子供が自ら自覚して静かになって欲しいので、この叱り方が難しいです。
 
こら!静かにしないやつは出ていけ!
→これ、簡単です。一旦は静かになります。でも、子供は来週から来ない。来てもつまらなそうにして来る(笑)。
(信長型)
 
静かにしろ!
→これ、簡単です。切れると怖いリーダーだと思われ(笑)、子供が本音を話してくれなくなります。
 
おしゃべりの時間じゃないよ!
→これも簡単ですが、いやみっぽい。うるさいリーダーと思われるだけ。逆効果かも(笑)。
 
どうして静かにしてくれないの?と言って泣いてしまう・・・
→これは子供になめられます・・・・冗談ですが。
(以上秀吉型)
 
がまん、がまん、いつかは分かってくれる
→これではうるさい子供は、うるさいまま卒業します(笑)。他の子に迷惑なのだ。
(家康型)
 
う~ん。どれも帯に短し、襷に長しですか・・・。
 
今のところ、私は秀吉型と家康型の中間のような立場をとりながら、子供たちに祈ること、イエス様、マリア様がいつも側にいることを常に話しています。
分かってくれていると信じたいのですが・・・・・。
 
神に感謝!
 
 

+Ave Maria!
 
今日の教会学校で、ロザリオの祈りを順番に子供にお願いしていた時、
ある男の子が、「いやだ」と言いました。
 
毎週、お祈りしてくれたので、何か思い当たることがあるのでしょう。
言われるまま毎回抵抗しないで引き受けることに、男のプライドが邪魔したのかも知れません。
子供の立場でも、意志を尊重しろ、ということでしょうか(笑)。
 
それで、何故?と聞いてみたら、
「めんどくさい」
 
この理由はチャンスです。
「めんどくさいことが大切なんだよ。大切なことはめんどくさいものなんだ・・・・」
 
子供がめんどくさいと言う時、私は必ずこういうことにしています。
 
事実、めんどうなことをする人に人は関心を持つし、なぜ?そんなことをするの?と思います。
それがお祈りや奉仕であるならば、尚更です。
めんどくさい、という気持ちはありのままではいけないのです。
それを乗り越えたところに希望があるのではないでしょうか。
 
その男の子は、私の話しを聞いてくれた後、お祈りを引きうけてくれました。
だいたい皆、こうして話すと、めんどうな気持ちを乗り越えてお祈りしてくれるようになります。
 
教会学校のリーダーさん、お父さん、お母さん、一度、お試し下さい(笑)。
小さなことですが、嬉しい一日でした。
 
神に感謝!
 

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