2012年07月

+Ave Maria
 
キリスト教とヨガ その7
By Sherif Michael (Reap the Harvest)
 
キリスト教≠ヨガ
 
聖書には、「神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。
そこで、人は、生きものとなった。」(創世記2:7)とあります。
人間は神によって造られた、神とは違う生き物です。人間は、神のひとり子、
受肉した神であるイエス・キリストを受け入れることで、生ける神との関係を
持つことができます。ヒンズー教では、ヨガにより、意識を高いレベルに上げる
ことで神そして梵とひとつになることができると教えます。
しかし、聖書は違います。聖書は、人間が神になれると主張するヨガやその他
のいかなるシステムについても、認めていません。
 
神に感謝! 

+Ave Maria
   
キリスト教とヨガ その6
By Sherif Michael (Reap the Harvest)
 
キリスト教≠ヨガ
 
前出の『超能力とオカルト』では、「ヨガやオカルトの書物が証明している通り、ヨガは正真正銘のオカルト主義である」〔7〕とあります。
 
オカルトの能力は、ヨガの鍛錬から得ることができ、またオカルト主義の危険は多くの研究や書物で指摘されています。〔8〕
 
ヨガ学者でありサンスクリットの権威でもあるミシュラは「最後に、それに気づいているかいないかは別にして、超能力者による警察への捜査協力や神秘主義、そしてオカルト主義の裏に、ヨガのシステムがあると言えるであろう」〔7〕と言っています。
(カート・コッホはオカルト主義に伴い、時には自殺に通じる不安症や鬱病について、何冊もの著書があります。)
 
神に感謝!

+Ave Maria
 
キリスト教とヨガ その5
By Sherif Michael (Reap the Harvest)
 
キリスト教≠ヨガ
 
瞑想やヨガは、多くの場合、不安障害の原因となります。私の場合、瞑
想やヨガにより、非現実的意識や精神分裂、鬱症状を経験するようになり
ました。いわゆる「意識が高まった」状態は、神経が極端な鋭敏状態にあ
ることを指すのであり、精神安定剤の使用者が感じるような、非現実感を
生み出します。
 
ヨガは害のない、健康的エクササイズという仮面を被って、社会に広がって
いますが、現実はまったく違います。「ヨガの鍛錬を誤解することが、死や
精神異常を意味するとなれば、ヨガは単なる冗談で済まされることではない。
(呼吸法に)誤りがあれば、その人は即死の危険にある。」〔6〕
 
ヨガの鍛錬における「わずかなミス」でも失神、トランス状態、精神異常等
に陥ることがあります。スワミ・プラバーヴァナンダのヨガおよび神秘思想
では、誤ったヨガの鍛錬により、脳損傷、治療不可能な病気、精神異常等が
起きる可能性があると警告しています。
 
散歩や絵画鑑賞、スポーツ、外食、休暇など、ヨガ以外にもたくさんのスト
レス発散法があります。また堅強な肉体は、ウェイト・リフティングやジョ
ギング、水泳などで作ることができます。
 
神に感謝! 

+Ave Maria
 
キリスト教とヨガ その4
By Sherif Michael (Reap the Harvest)
 
キリスト教≠ヨガ
 
近代ヒンズー教で最も普及しているシャンカラでは、雨粒を個人の魂、
海を普遍的魂のシンボルとしています(イサム・ヤマモト「SCPニュース
レター」より)
 
「雨粒が海に吸収されていく事実は、個人が非個人的宇宙に吸収されて
いくことを象徴している。人間は悟りを開くと、そのアイデンティティ
を失い、すべてを包容したひとつのまとまりになる。吸収されることこ
そ、一元論的ヒンズー教の目的である。
 
 仏教では、ろうそくの光で個人を表す。それは、孤独の闇の中で揺ら
めく命の光を意味し、熱心な仏教徒は、自らの手でその光を消すことを
目標とする。彼らが求めるのは単なる肉体の死ではなく、『物理的・霊
的人生から我々を解き放つ死』である。」〔5〕
 
アース・ハーベストのウェブサイトの著者は、マントラ・ヨガ、ハタ・
ヨガ、クンダリーニ・ヨガの実践にかなりの経験があり、その詳細に精通
しています。ヨガをすることで、確かに意識の変化は得られます。しかし、
ヨガの練習を積むにつれ、その影響が抑圧的なものになり、自分と外界と
を遮断するようになります。
 
感覚入力が増し、外からの刺激へ過剰反応をするようになり、過度の心配
や不安に襲われるようになりました。ヨガの体位を取りながら瞑想をする
集中講座を取った時など、何度か気を失っただけでなく、一時間半も意識が
戻らないこともありました。意識が戻っても、それだけの時間が経ったと
いう感じもせず、また何が起きたかも全く覚えていないという状況です。
 
こうした経験から、私はドアが閉まる音、ジェット機や車の騒音など、些
細なことで取り乱すようになりました。瞑想やヨガから来るこうした経験
の多くは、典型的な不安障害の症状に似ています。
(症状の詳細は、パニックアタック等に代表される不安障害に対する非医療
的アプローチを取り上げた有名なオーストラリア人医師のクレア・ウィーク
スの『あなたの神経を救うには』に詳しく書かれてあります。)
 
神に感謝!
 

+Ave Maria
 
キリスト教とヨガ その3
By Sherif Michael (Reap the Harvest)
 
キリスト教≠ヨガ
 
体よりも心が優位に立つと信じるマントラ・ヨガも、マントラをくり返し唱えることで
個人の意識を変化させることを説いています。このマントラは、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーのグル()である「グル・デープ」が生み出したもので、「神々の好む名前」のマントラです。声を出さずあるいは声に出して、数時間もマントラをくり返すことにより、意識の変化が生まれます。
 
ヨガは、東洋宗教の形而上学と密接な関係にあり、単なる心身のリラックスといった簡単なことでは片付けられません。ヨガの目的は、ヒンズー教の目的と同じ「梵の実現」です。
 
『超能力とオカルト』(クリフォード・ウェルドン、ジョン、ウィルソン共著)では
「ヨガを物理的に経験することは、肉体を物理精神的変化に準備させることにあり、
それは、人間の意識や存在の中に梵の実現を投入する重要な変化を含んでいる」とあります。
 
となれば、ヨガの実践とその理論を別に考えるのは無理な話です。ヨガの実践とその理論をきちんと区別することは難しく「私はヨガをやるけれど、ヒンズー教とは関係ない」と言う発言は筋が通っていません。
 
カリフォルニア州バークレー市にある宗教関係研究団体「Spiritual Counterfeits Project」発行の書物では、ヨガと東洋宗教の関係をこう説明しています。「ヨガを実践し、その物理的側面の一部に触れることで、『美しい体を作る』といったブルジョア階級の世俗的幻想は一時的に満たされるかも知れない。しかし、ヨガの実践が東洋宗教的形而上学とは決して切り離せない事実は歴然としている。ヨガの実践とインド形而上学は相互依存の関係にあり、どちらかだけを取ることは不可能なのだ。」
 
 
 

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