2012年04月

+Ave Maria!
 
明日、5月1日はカトリック教会では勤労者聖ヨセフの祝日をお祝いします~。
 
聖母文庫の好きな本の一つに、
 
この「聖ヨセフに祈る」があります。
 
イメージ 1
 
作者のカシアノ・ティティヒさんは、コルベ神父様とともに日本にいらした修道者です。
 
とても読みやすく、ヨセフさまのことが知りたい方にはお勧めです。
 
 
私も久しぶりに本棚から取り出して読んでみようかな~?
 
では皆様良いGWをお過ごしください。
 
神に感謝!
 
 
 
 

+Ave Maria!
 
今日は今学期初めて、3・4年生のクラスを担当しました。
 
GWとあって、参加する子供たちが少なくて、少々さみしかったですね。
 
さて、以前もお話しましたように、私たちの教会学校は司教様の公認がある教科書
 
「こみち」小学校中学年用
 
を使っています。
 
今日は、2番目で
 
「すくいのれきし」
 
というところをやりました。
 
神様は旧約の時代はイスラエル人を通して民に語られ、今の時代は教会の人々を通して語られる、
 
簡単に言えばそういう内容でした。
 
 
 
子供たちに、伊藤リーダーは尋ねました。
 
「では具体的に、今の時代は神様は誰を通して人々に話されますか?」
 
 
子供:「はい、神父様~」
 
伊藤リーダー:「正解!他には?」
 
子供:「お父さん、お母さん」
 
伊藤リーダー:「おお!良い答えだね~正解!他には?」
 
子供:「え~、まだいたっけ?」
 
伊藤リーダー:(忘れてるなあ・・・)
 
「いるよ?良く考えて」
 
 
子供:「あっ、シスター!」
 
伊藤リーダー:「そうそう!正解!他には?」
 
(早く思い出してよ~) 
 
 
子供:「え?神父様でしょ、お父さん、お母さん、シスター・・・・・他に?いるかぁ?」
 
伊藤リーダー:(くっそー!思い出さないな~こうなったらどうしても思い出させてやるぞ!)
 
「え~と、ほら、教会のことを教えてくれる人は?」
 
子供:「・・・・・・・」
 
伊藤リーダー:(まだ?)
 
「え~と、身近な人で考えて?」
 
子供:「・・・・・・」
 
 
 
伊藤リーダー:(もう、しょうがないなー)ゴホン。ゴホン。
 
「え~、では、もう少しヒント。教会学校で教えてくれる人を忘れてない?」
 
子供:「あ~あ~リーダーね・・・」
 
伊藤リーダー:(あ~あ~じゃないよ、忘れやがって)
 
「そう!忘れないでね!」
 
 
全く存在感の薄い教会学校リーダーです。
 
その上、最後に子供が発した言葉。
 
子供:「な~んだあ、リーダーもほめられたいんだ(笑)」
 
という訳で今日の授業は、子供に嘲笑されるというなさけない状態の内に終わりました。
 
神に感謝!
 
 
 
 
 

+Ave Maria!
 
神への奉仕と神の栄光、そして天の国。それ以外はただの煙と夢に過ぎません。
 
~聖マグダレナ・カノッサ~
 
神に感謝!

+Ave Maria!
 
聖書の分かち合いが、教会のいろいろなグループで行われています。
 
私が洗礼の勉強会をしていた時も、聖書の分かち合いのようなことを体験しました。
 
求道者だった頃、むしろ神様のことを教えて頂きたかったので、分かち合いにはなかなか馴染めませんでした。
 
 
今も素直に言えばなじんでいないかも知れません。
 
でも分かち合うことで気がつくことも多いので、それはそれで有効かな、と思って取り組んでいます。
 
ただ、私が分かち合いになじまないと感じる原因の一つに思いあたりありました。
 
 
それはルールを守らない人がいた場合に起こります。
 
 
分かち合いにも基本的なルール、例えば人数は10名以下が良いとか、一人の話す時間は3分以内とか、
 
他人の分かち合いに意見を言わないなど、
 
分かち合いそのものが霊的な糧となるようなルールが定められています。
 
 
そのルールの中の最も大切なものに、
 
三人称単数で話す、
 
というものがあります。
 
 
 
簡単に言えば、分かち合いの主語を
 
 
「わたしは」
 
 
で始めるということです。
 
わたしは・・・・・こうであり・・・・こうと思います。
 
わたしは・・・・していて・・・・こうしなければと考えます。
 
などなど。
 
 
これを守らないで、
 
 
「わたしたちは」
 
 
で始める人がいると、どうなるか。
 
わたしたちは・・・・・こうであり・・・・・こう思っています。
 
わたしたちは・・・・していて・・・・・こうしなければと考えます。
 
 
これだと神父様のお説教ですね。
 
 
具体的に例文を作って比較してみましょう。
 
 
◎分かち合いのルールにのっとる場合、
 
わたしは、イエス様のように清貧に過ごすことはなかなかできません。
 
わたしは、美味しいものに惹かれてしまうし、好きなことに時間を使いたいと思ってしまいます。
 
わたしは信者として、聖書に出てくるイエス様の道を歩めるように、回心しなければと感じました。
 
・・・・となると自然です。
 
 
ところが、
 
◎ルールを無視して、わたしたちで始めると
 
 
わたしたちは、イエス様のように清貧に過ごすことはなかなかできません。
 
わたしたちは美味しいものに惹かれてしまうし、好きなことに時間を使いたいと思ってしまいます。
 
わたしたちは信者として、聖書に出てくるイエス様の道を歩めるように、回心しなければと感じました。
 
 
・・・・
 
となり、分かち合いどころか、単に失礼な話になりかねません(笑)
 
信徒同志の分かち合いにならなくて・・・・馴染めないなあ。
 
という訳で、このルールに従うことは分かち合いには欠かせません。
 
 
 
神に感謝!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

+Ave Maria!
 
聖ファウスティナの日記を読むと、印象に残る箇所がたくさん出てきます。
 
ファウスティナがワルシャワに着いてから、誰も知らない、どこへ行ったら良いのか分からない・・・
 
恐れに打ちのめされた時、
 
「マリア様、わたしを導き、道を示してください。」
 
と祈ると、マリア様はすぐ安全な場所を示され、その通りになったということです。
 
このような短いお祈りでも、わたしたちの母・マリア様は決して見逃さないということだと思います。
 
神に感謝!
 
 
 

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