2009年11月

+Ave Maria!

いよいよ待降節ですね!皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

今日も子供たちはいつものように聖歌を歌い、ロザリオはもちろん喜び。

しかし、いつものクラスに分かれてする授業は無く、今日はクリスマスカード作りに励みました。

来週、近くの病院に伺って、入院している患者さんたちのところへクリスマスカードを届けるためです。

こういうことをするときは、いつも子供たちは一生懸命です。喜びにあふれてますね。

それに楽しそう・・・。

一番最初に『できたー!』という男の子のカードに、早いね~と注目が集まり、そのカードを見に行った

女の子が一言。『すっごい雑!』(笑)・・・・・はやいはずだ、みたいな。

クリスマスの景色の空の色が黄色で塗られていて『クリスマスなのに変だろ!』とつっこみが入ると『こ

れは☆星の光だー!』などと反論したり・・・・、いくらなんでも空がまっ黄色な星の光って(笑)。

とか何とか言いながらも手作りのクリスマスカード。まあ、ステンドグラスのような塗り絵にはなっては

いるんですけどね。

子供が患者さんのためだけに一生懸命作るカードは、本当に素敵なものです。

見ると思わず欲しい!と思ってしまいます。でもこれは患者さんだけの特権ですよ(笑)。

そのぎこちない手作りのカードを、子供たちは直接、患者さんに手渡しします。

はやくー、よくなるよーに、おいのりしてます・・・、とか言いながら。

もらった患者さんが涙ぐむ場面を何度も見たことがあります。

子供のお祈りは純粋で、多くの大人よりも神様が喜ばれるお祈りができるのかも知れません。

今年も、たくさんのクリスマスカードができました。

患者さん方に、少しでも希望が見出せるような病院の訪問ができたら嬉しいです。

子供たちが本来持ち合わせている、綺麗な心の灯が大きくなってくれるともっと良いなぁ、と思います。

祈りと犠牲を伴った行いは、クリスマスを迎える準備にふさわしいことだと自負しています。

毎年、このような機会を与えてくれる病院の関係者にも心から感謝しています。

皆さまも、良いクリスマスの準備ができますように。

神に感謝!

+Ave Maria!

秋も深まり紅葉狩りのシーズンとなりました。この秋に神父様やリーダーたちに遠足に連れて行ってもらった教会学校の子供たちもあったことでしょう。
冬にはクリスマス会もあるし、春には遠足、夏には合宿など、教会学校では季節を通していろいろな行事がありますが、そこで活躍するのがカメラ担当のリーダーです。

私たちの教会学校にもカメラ好きなリーダーがいて、何と自費で6万円位もする最新ビデオ付きデジタルカメラを購入して、子供たちの記念のために写真を撮っています。

ご両親や保護者の方々にもきっと喜んでもらえるのではとバチバチ撮ってはみるものの、レンズの前にドアップでしゃしゃり出て写真を台無しにする男の子や、私を撮らないで!と恥ずかしがって顔を隠す女の子など、高価なカメラも子供の前にはなかなか役に立ちません。
しかし、それでも良い記念になりますから、子供が多少いやがっても何とか説得しながら写真に収めていきます。

さてさて、カメラ撮影も行事も何とか無事に終わり、後日、写真を現像してこれをアルバムにファイルし、番号をふってやっと注文を受ける準備のできあがり。ご家族に公開します。写真の注文は、どの番号を何枚、と袋の表紙に記入して、1枚当たり@40円でお申し込み下さい・・・・とこんな感じで注文を受けては焼き増しをしていきます。

ところが、これが意外に大変なんですよ~。何が大変かというと、経験している方はご存じだと思いますが、まず一人一人の申し込みに合わせて、写真をピックアップし、何番は何枚と何番は何枚というふうに種類と数を一つひとつ確認していきます。ここで間違えると、後でその間違いのためだけに再度カメラ屋さんへ行く羽目になります(泣)。

そして、現像できてきたものを、今度は、注文袋に区分けして入れていかなければなりません。この作業も一枚でも間違えると、どこの写真と間違えたかを調べなおさなくてはいけませんから、又一苦労です。注文されたご両親の写真にその子供が写っていない!どうして!ああっ、やっぱり間違えてる!

他にも、注文したご家族が間違える場合、写真屋さんが間違える場合など、二度手間の可能性のオンパレードが続きます。

ということが毎回重なり、何か良い方法がないものかと漫然と考えていたのですが、ある教会に行った時に、確か遠足の写真だったと思いますが、教会の掲示板に張り出して、注文を受け付けている教会学校がありまして、びっくりしたのは、そこには『写真CD 1枚100円』とだけ書かれていたのです!

うっそー!!!!!!
そうか!!!!!
こんな方法があったとは!!!!!

自分の頭の悪さに地獄の底まで落ち込みました。
今までの苦労は何だったのか・・・・・。なるほど、CDをコピーして渡せば、後はいくらでも好きなようにそれぞれで注文してもらえば済むことでした。

まさか、私たちと同じようなことでお悩みのリーダーさん方はいらっしゃらないとは思いますが、万が一そのようなストレスをおかかえの方は、この方法を取り入れて見られたらいかがでしょうか。

たまには、他の教会へ出向いていろいろ見てみることも有益ですね。トホホ・・・。

神に感謝!

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+Ave Maria!

今日、11月15日、私たちの教会では七五三のお祝い式がありました。
あちこちの日本のカトリック教会でも、きっと七五三のお祝いをしていたと思います。

七五三というと神道の習慣なので、カトリック教会でお祝いすることに違和感を感じていた時もありました。きっと、私が成人洗礼だったこともその考えに影響していると思いますが、ともかく子供が大きくなるにつれて、その成長を地域で喜び、ますます祈願するという意味をもってすれば、カトリック教会でお祝いしても何らその教えに反することを見出せません。

教会で七五三をお祝いすることは、割と自然と受け入れられているように感じます。聖母の騎士社では、マリア様のご絵の書かれた綺麗な千歳あめの袋なども販売していますしね。

その千歳あめが祝福されて子供たちに配られました。さすがにあめまでは教会で販売していないので、中身はペコちゃんの不二屋でしたけど(笑)。
もちろんおメダイと一緒です。

さて、私たちの教会では15人の子供たちが七五三の祝福を受けました。少子化が叫ばれる中で、多くの子供たちが教会に足を運んでくれることは、大きな希望です。お父さん、お母さん、子育て、本当にお疲れ様です。ご両親の犠牲はきっと子供たちに良い心を芽生えさせるに違いありません。

神に感謝!

+ Ave Maria!

先日の主日ミサの説教の中で、サレジオ会の神父様が福音にからめてドンボスコの話しをして下さいました。

ドンボスコは言わずと知れた偉大な聖人ですが、特に子供の教育に熱心でしたので、教会学校のリーダーとしても関心があります。私はまだ読んではいないのですが、ドンボスコの書いた子供の教育本などもありますので、ご覧になられた方も多いことでしょう。

さて、私が聞いた神父様の説教のエッセンスはおおよそ次の通りでした。

『ドンボスコは子供の教育に熱心でした。

彼は、徹底してどの子供を大切にすることを実践していました。子供を大切にし、いつもそのように接していましたので、どの子供もドンボスコからの愛情を感じ、それゆえドンボスコを信頼するようになり、ドンボスコの言うことは何でも素直に聞くようになりました。

ドンボスコは、毎日、毎日、子供を徹底的に愛していましたので、寝る時間もほとんどないほど働いたこともありました。そのためか、31歳の時、大きな病気にかかり、8日間、生死をさまよったことがありました。その時に、子供たちはドンボスコのために一生懸命神様にお祈りをしたそうです。

神様、ドンボスコを助けて下さい!ドンボスコの病気が治りますように!

又、子供たちの中には、自分はこれから死ぬまで毎日ロザリオを3環お祈りしますので助けて下さい、とか、死ぬまで毎日、水とパンだけで生活することを約束しますのでドンボスコをどうか助けて下さい、という子供までいたそうです。
その子供の祈りを、病気で伏せっているはずのドンボスコは夢うつつの中で聞いたそうです。

子供たちのために命を落としても構わない程、思いをかけて尽くしてくれるドンボスコに、子供たちはこれからの自分の人生を捨ててでも彼を助けたいと考えたのでしょう。』

福音は、やもめの献金のところでしたが、ドンボスコと子供たちの実話を題材に、とても分かりやすい説教になっていて、若い神父様でしたが、私は心から感心して聞いていました。

それにしても、イエスキリストに従う人というのは、何と美しい人なのでしょうか!

神に感謝!

+Ave Maria!

どこの教会の教会学校でも、おそらくいろいろ問題を抱えながら苦労して何とか運営しているっていうところがほとんどではないでしょうか。安定していて、いつもすべてがうまくいっている教会学校ってどこかにあるのかなあ・・・?

私たちの教会学校も、外部の方々の声に耳を傾けてみると、実にうまくいっているように見られてるようですが、現実はそれほど簡単ではありません。

今もリーダーがいるにはいるのですが・・・10人かな・・・ところが、割と授業を受け持ってくれていたリーダー2人が転勤になってしまい、それでリーダーが8人に減って、その内だいたいいつも同じ3~4人が授業を担当しています。今は、その一部のリーダーに負担が大きくかかってしまうということが少し気がかりなところです。

しかし、神学生やシスターを含め、どのリーダーもお金や自分のためにリーダーをしているわけでもなく、それぞれが社会で自分の役目を果たしている中での奉仕なので、誰もその他のリーダーを責めることはできませんし、そのつもりもありません。もしろ、特別な行事だけでも手伝ってくれるリーダーがいるということを心から感謝しなくてはいけないでしょうね。

教会によっては、リーダーがいなくて教会学校そのものが成り立たないケースもあるようですから、それだけでも恵まれた教会なのかもしれません。

一時は、リーダーの数が多すぎて授業の担当がなかなか回ってこなくて困っていたという逆バージョンもあったりして、丁度良い時っていうのは、いつまでたっても来ないものかな~って思っています。

結局、私が今感じていることはかなり贅沢なことかも?ということで、問題は自分の心の中にあり、絶えず伊藤リーダーの信仰が問われているということかも知れません。

って、今日はちょっと真面目すぎたかな。元気を出して又がんばります!

神に感謝!

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