2009年07月

イメージ 1

+Ave Maria!

最近ブログを始めたばかりなので、いろいろと分からないことばかりです。画像の取り込み方も今一分かっていないような気がしますが、何とかやってみたところです。

実際はもっと鮮明なのに線がところどころ霞んでしまって見にくいですね・・・すみません。


これは1学期に使っていた出席カードです。

保母さんをしている若いリーダーが作ってくれました。

子供が楽しみに教会学校に来ることができるよう、些細なことですがこんなこともしてますよってことで・・・。

アップしても良いよ!と許可を頂きましたので、公開してみました。

4月は桜、5月は鯉のぼり、6月はでんでんむし、7月は海、です。個人的には、かわいいタッチの中にそれぞれ神様が造られたものという生命力を感じています。

もちろん2学期、3学期バージョンもありますので、機会を見て公開していきたいと思っています。

そのころにはもう少し、ブログにも慣れているといいけどなぁ。

神に感謝!

+Ave Maria!

まだ幼くて、母親や父親はご聖体を拝領しているのに、自分はできない子供がいます。

いつも目に入る光景は、神父様の前に進み出て、両親に進められると、ぎこちなく手を合わせちょこんと頭を下げて、祝福を頂く子供の姿です。
その後、たいていはご両親がご聖体を拝領する姿を、興味深そうにじっと見つめて席に戻ります。

この様な場面は、どこの教会でもきっと見受けられることでしょう。


昨日、教会学校は終業式で、夏休みになりました。それで、昨日のミサは特に子供にも向けて捧げられたミサでしたので、私たちリーダーは子供とともに前の席に座ってミサに与りました。
そして、一番前に座ったことで、いつもと違った一歩踏み込んだ?幼い子の姿を見ることができました。

その子は自分が先に神父様から祝福を受けました。次にお母さんがご聖体を拝領する番です。ここまでは、他の子供さんたちと同じ。

さて、その背丈の小さな幼子は、お母さんがご聖体を神父様から受けようとする時を待ち構えていたようで、その瞬間が来たら自分より背の高いお母さんの受けるご聖体めがけてピョンピョン飛び跳ねているのです。自分にも欲しいよ!といった感じで、大袈裟に言えば必死?になっているのです・・・・。
かわいいですね(笑)。

考えてみれば、いつものことで慣れてしまって、大切なご聖体を頂くということが自分には薄れているかも知れない、とこの子供のような純粋な気持ちと態度に触れ、大いに反省した次第です。

マザーテレサは、一日に二回神様と出会う、とおっしゃっていましたが、まさに、その一回がこのご聖体拝領でしたね。さすがは信者の模範とされる聖女です。

『あなたたちによく言っておく。あなたたちは心を入れかえて幼な子のようにならなければ、天の国には入れない。』【聖マタイ18:3】

自分自身の反省を込めて。

子供たちとご両親の皆様、良い夏休みをお迎え下さい。

神に感謝!

+Ave Maria!

どこの教会学校のリーダーとは言いませんが、教会学校の使命について話していた時、次のように話す方がありました。

『使命とかいうことより、私は子供たちに癒されるので教会学校のリーダーをしているんですよ』

親から見れば、家の子供に限ってはリーダーを癒すなんてことはないでしょ(笑)、と思われるかも知れませんが、私も子供たちには本当にしばしば癒されています。子供たちは、家では見せない?素直な顔も見せてくれているかも知れませんよ(笑)。

教会学校では、子供なりに神様のことを意識しているせいもあると思いますが、子供たちには駆け引きなしの綺麗な心が宿っています。希望に満ちた大きな未来や可能性が広がっています。その世界を垣間見ることができるので癒されるのかもしれません。

したがって、私はこのリーダーの話を良く理解できるんですね~。

でも、この話を聞いた時、理解しながらも何か強い違和感を持ったことも事実なんです。

確かに、教会学校のリーダーは引き受け手が少なくて、リーダーというだけでその教会にとってはありがたい存在かも知れません。子供に関心を抱いて行動してくれる人は貴重で、感謝されてしかるべきかも知れません。

しかし、教会学校の使命よりも、自分が子どもに癒されるから教会学校のリーダーをしているというのはどうなのかな?と感じたことも確かです。

これが教会学校に来る目的となってしまって良いのだろうか、教会学校の子供たちを自分の癒しの目的としてしまって本当に良いのだろうか、と思うと同時に、そのリーダーには申し訳ないのですが、何か自己中心的な印象を受けたものです。

先ほど述べたように、私たちも、子供たちに癒されることがあります。しかし、それは教会学校の使命を果たそうとしてきた結果、得られるものなのではないでしょうか。でなければ、リーダーのために利用される、何より純粋無垢で、素直な子供たちがかわいそうな気がしました。

一見、リーダーとして犠牲を払っているように見えても、実は自己中心のため、ということも気がつかない内にしばしば起こりうることです。

イエスさまは、自分を捨て、私たちのために『いけにえ』となられました。天のお父様のみ旨を果たし『犠牲』を捧げられました。

私も含めリーダーをしていらっしゃる皆様、イエス様に倣って子供たちのために犠牲を捧げ、神様から与えられた教会学校の使命をいつも振り返りながら、誠実に子供たちへの奉仕を続けていこうではありませんか。

神に感謝!

+Ave Maria!

リーダーたちも時には休みがないと、子どもの攻撃には耐えられません(笑)。日夜、子どもと格闘しているご両親には、日曜日の一時間程度しかやっていないのに、それでも教会学校はお休みが欲しいのですか?などと言われてしまいそうですが・・・ご両親こそ、日曜日のひと時に、お子様を教会学校に預けてお休みしたいと思われているかも知れませんね。そんなご両親には、見事に期待を裏切る『教会学校がお休みの日!』というものがあるのです(笑)。

ただお休みの日でも、なるべくコミニュケーションをとることが大事だと思って、声だけはかけるようにしています。

ミサが終わって、子どもたちが聖堂から続々と出てきます。ここで割と几帳面な子供は、年間予定表を知っていて『今日は、教会学校はお休みでしょ』と言ってきます。おおらかな子供は、『今日、教会学校あるぅ~?』と聞いてきます。「今日はお休み!」とリーダーが言うと、すかさず『ヤッター!』・・・。
「ヤッターじゃなくって、そういうときは、残念!でしょ」と反撃すると、『じゃあね~、わ~い』とどこかへ行ってしまいます。自分も幼い頃はこうだったんだろうな、と思いつつ、子供むけの教会パンフレットなどを配って、サヨナラです。

そして、その日、教会で顔を合せなかった子供たちには、そのパンフレットを自宅に送ります。同時に、しばらく教会学校に来ていない子供も思い出して、自宅に送ります。そうすると、一度でも教会学校に来たことがある子供たちは、リーダーたちが自分のことを思い出してくれたということに気がついてくれて、又教会学校に顔を見せてくれるのです。

全部が全部そのようではありませんが、大人の社会でも、しばらく顔を出さないでご無沙汰しているグループには、次に顔を出す時にちょっと生きにくい雰囲気を感じたり、勇気を出さなければ行くことができないなどというケースがあると思いますが、子供ならなおさらだと思うわけです。

教会に子供が少ないとか、若い人が少ない、と言う方が時々おられるようですが、幸いに今の私たちの教会には、良い環境があり多くの子供や若い人たちが来てくれていますので、このようなことは当てはまりません。

しかし、些細なことかも知れませんが、このようなちょっとしたことでも子供たちや若い人には気持が伝わります。子供たちや若い人たちの姿が少ないと思われている教会学校の方々には、こんな例もご参考になれば良いなと思い、僭越ですがご紹介させて頂きました。又他の教会で子供や若い人たちに対して取り組んでいることなどがあれば、反対にご紹介頂きたいなぁ、と思っています。日本のカトリック教会の繁栄のために。皆様、どうぞよろしくお願い致します。

神に感謝!

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